
5月1日、TANTOTEMPOにてSocio Arteの枠組みの緊急ギャラリートークを開催しました。
このギャラリートークは、震災後被災地で写真を撮影された写真家の鷲尾和彦さんがギャラリーを訪れてくださったことから急遽決まったギャラリートークです。被災地の現状をテレビなどのニュースで知るしかない私たちにとって、現地で撮影されたイメージを見ながら被災地に思いを届けるのはとても重要だと考え、この思いを鷲尾さんにお伝えしたところ、急遽ギャラリートークが決定しました。急な告知だったのも関わらず、当日会場にはたくさんの方が来てくださいました。
ギャラリートークでは、まず今回の地震および津波の被害状況について、被災地に入った写真家の立場から、鷲尾和彦さんがスライドショーを中心に写真で紹介していただきました。被災後しばらく経ってからの撮影とはいえ、生々しい被災地の様子が伝わってくるスライドショーで、参加者も息をのむシーンもありました。しかし、全体的に抑制がとれたわかりやすい写真が多かったと思います。現地に入った写真家の多くが抱く「被災地の写真を世に出していいのだろうか。出すのであればいつなのだろう。」という悩みについても鷲尾さんも率直に語っておられましたが、神戸で震災を経験した立場から、またギャラリーの立場として、あらゆるイメージが震災の記録という観点から重要であり、写真家として現地に入ったのであればどのようなシークエンスも発表の義務と責任を負うとの意見を述べました。被災者への配慮、という考えは必要だけれど、真実への訴求は緩めてはならないというのが僕自身の考え方であると伝えました。
次に、神戸の震災の体験から、都市型の震災と今回の津波被害との違いや復興への困難さについて会場で意見を共有しました。特に、人々が多く住み暮らしと産業が周辺に適度に分散した都市の震災と、暮らしと産業が一体化している今回の被災地の状況とがまるで異なっていることを鷲尾さんの写真からひもときながら考えてみました。結局のところこの街を離れることのできない人が行政の関与と自身の努力でカバーしてきた神戸と、被災の状況も復興も構造が根本的に異なるのではないかとの意見で、やはりこのような災害に対する支援を考えた場合もっとも必要なことは、忘却と疲労への対策だと思います。
大きな被害についてはどうしても国主導の復興支援が必要不可欠で、とすれば国民の税金が被災地に投入されるのはやむを得ない訳ですが、神戸を例にとるとあらゆる人の暮らしの断片について税金の投入ですべてがまかなわれると考えるのには無理があります。まず必要最小限の生活から、次にインフラや大きな産業から復興というものはなされていって、文化や芸術がつい遅れるなど、やはり力関係によって差がつく可能性がある訳です。
人は社会との関係性によって、その活動を文明として発展させてきました。本来ひとはちっぽけな動物に過ぎない訳ですが、文明社会への参加をすることで人類は未来への礎を築いてきました。3つ目のセッションでは鷲尾和彦さんの代表作「極東ホテル」(赤々舎)をスライドショーにて拝見しました。この写真集は、まさに文明の澱みのような場所にたたずむ人びとを写真家独特のまなざしで撮影した優れた写真集だと思います。独特のまなざしとは、突き放すでも寄り添うでもない、極めてニュートラルな距離感でホテルの逗留客を撮影している視線です。鷲尾さんの「極東ホテル」のスライドショーを見た私たちは、私たち一人一人がちっぽけであることを思い知らされると同時に、何らかの立場でこの世に参加していることを再確認します。孤独であってもなくても、私たちは社会に組み込まれているそのことから逃れることはできません。普段の暮らしにおいて社会に参加する意識をもつか持たないかは各自が自由に決めるとしても、誰かが苦境に陥ったことに対して責任のある立場で問題解決に参加することの重要性は、今回の震災とその復興でよりはっきりと意識する必要があるように感じられました。「極東ホテル」には孤独と同時につながりが描かれているのです。
最後のセッションは、被災地への義援金や文化芸術、教育に対するほんの小さな支えをアートや写真界隈から捻出しようというのがSocio Arteの枠組みについての説明とステートメントの確認です。震災当日の夜から明け方にかけて構想を練り、翌朝から動き出して早々に募金箱を制作、活動をすすめてきましたが、たくさんの方が賛同くださって一通り形になるには時間と大きな労力がかかるだろうことは容易に想像がつきます。なぜならアートにはまとまってある問題に構造をあてて解決するといった場や方法がなく、それぞれがばらばらに支援をするしかないのが実情だからです。Socio Arteの目論みは、まさにこの点に焦点をあてて緩やかでも構造をあてて考えてみたいという意思表示であったのですが、いろいろなアートの担い手に問いかけたもののやはり難しいだろうというのが大方の見解でした。しかし、僕自身は難しいとは思っていません。参加を通じて構造を作ることほど現代の日本に必要なものはないと考えるからです。
Socio Arte Kobe 2011のステートメントは以下の通りです。
- 私たちは東日本大震災の悲しみを決して忘れません
- 私たちはアートの価値を高め、日常の暮らしに根ざしたアートの活動がかなうよう日々努力します
- 私たちは制作したまたは手にした作品を愛なで、日々眺め、被災地を思います
- アートに参加する私たちアーティスト、枠組み実施母体、作品購入者は、アートを通じて被災地に長く大きな支援を届けます
Socio Arte Kobe 2011にご参加くださりありがとうございました。
どうぞ今後ともよろしくご支援をくださいますようお願いいたします。