Diary: 2009年10月アーカイブ

SDIM2582.jpgPhoto by Shin Saito

甲南女子大学の学園祭の一環、そして文学部メディア文化論の教育プログラムの一環として、クリエイターズフォーラムという枠組みの中で写真イベントが開催され、参加してきました。

このフォーラムは定期開催されているもので、今年で第15回を数えます。主にプロフェッショナルなメディア、アート関連の活動を行っている人々を招いて、主に学生を対象に講演会などを行っているそうです。今年はプロフェッショナルフォトグラファーとしてTANTOTEMPOでもおなじみの写真家・田中亜紀さん、そして写真文化の担い手としての立場からTANTOTEMPOを代表して僕が参加することになりました。もちろん、主催されたのは甲南女子大学文学部教授でTANTOTEMPOともなじみの深い馬場伸彦先生です。今回は計画立案当初から参加させていただきました。

フォーラムは二部構成で展開され、前半は田中亜紀さんの写真活動としてTANTOTEMPOで開催し好評だった"DAZZLE"という太陽の光を主題にしたアート写真家としての写真活動、そしてカメラマンとしての舞台撮影での活動が紹介されました。写真家としてのキャリアをスタートさせたきっかけや、作品を作っていく活動の実際、またプロフェッショナルであることの意味、写真というアートの特性について、太陽の光というテーマについて「写真でしか語れないこと」という観点から大変わかりやすく解説されていたのが印象的でした。

後半は、「写真を見るということ」と題して、ギャラリストの立場からどのようにして溢れるように存在するたくさんの写真の中から力のある写真を選んでいくのか、というセッションを受け持ちました。この流れのなかで、フランスの写真家Patrick Tabernaさんと萩原義弘さんの写真世界を紹介し、ストーリーが紡がれていく映画のような写真アートと、ドキュメンタリー写真家としての活動から美しい世界を紡ぐ写真アートを紹介しました。

このフォーラムのメインイベントは学生たちが撮影した写真をスライドショーで紹介し、田中さん、馬場先生、そして僕がリアルタイムにレビューをしていくというものです。写真は総数約200イメージ、延べ35名近い方々の参加があり、会場からもQRコードでメールを送ってもらうという実験的な試みも実施しました。時間の都合ですべての写真を紹介できた訳ではありませんが、約半数の写真についてレビューを行いました。

提供された写真はあらゆるジャンル、対象を含んでおり、面白いものが数多くありました。大学内で撮影された実験作や、友人、動物を対象とするもの、写真アートを目指したコンセプチュアルなものもありました。また、女性らしいかわいいモチーフや色使いの写真も多く、解釈が困難な写真、どこで撮ったのか不思議な世界を描いているものなど、レビュアから面白い解説がなされ会場が沸き立つ写真も数多くありました。誰かが撮影している以上、原則として「意味のない写真」はない訳ですが、何かメッセージがあるか、表現がなされているかという点で写真を読み解く作業を会場全体で行うという今回のイベントは大変面白かったと思います。これからも同様のイベント、フォーラムの開催を、学内にとどまらず様々な方面で行うと写真文化の読み手が育ってくれるような印象を持ちました。

甲南女子大学でも、内容は変化していくものと思いますが、同様のイベントが開催されることになるのではないかと思います。表現者のみが増える一方では写真文化とはいえない訳で、実は写真の読み手を育てることがいかに大切かを改めて実感するイベントでした。

若き写真家の皆さん、おつかれさまでした。
PA171031.jpg関西御苗場という写真イベントが終わった。

最終日らしく、浅田政志さんのトークショーが開催されたり、各所でレビューが盛んに行われていた。

僕も公式にレビュアに選ばれていたため、最終的に優秀者を一人選ばなければならず、3日間の間に様々に迷い考えに考えを重ねた。いろいろな選択を気ままな性格からさっさと決めてしまう普段と違って、やはり相手がいること、またその相手といずれ組んでお仕事をする可能性があることをふまえて、少し判断に迷いが生じたのだと思う。

結論から言えば、今回の写真イベントでは多くの種がまかれていたと思う。しかし、まだ芽がさほど出ず、それが真正のアートかどうか、僕には読み取れないものも多かった。僕はかなり素直にアートのフィールドに飛び立つ作家を探していたし、いくつかの種はおそらくアートの世界に入ってくるのだと思えたのだが、確信が持てなかった。これも僕の経験の浅さが原因なのだと思う。後で関係者と話すうちに、例えば彼らの年代(20台になるかならないか)への不理解と偏見(僕の経験した時代とは異なること)があること、あるいはそれらの青い時代に彼らが感じるであろう大人社会に対する怒りや鬱積する不安があるにせよ、表現者としてこれほどまで陰湿で暗惨たるイメージを、それも一人や二人ではなく多くの若い写真家が描いていることを知ると、もはやこれらのイメージを正視できないような気がしたのだと思う。表現というよりも、直接的で粗野で容赦ない攻撃のようにも感じられたものもあった。そしてそれもまたアートへの原動力になるに違いないパワーであることに次第に気づいて、僕の混乱は3日間にしてやっと静まっていったのだと思う。

これらの最若手の写真家の中にアートをにらんで興味深い写真家がいた。彼女は、人物と人物の所作に意図的にある「状況」を作り出し、あるいはある「状況」から何かを読み取り、それを撮影している。チープな布やマスク、プールの水の中に死体のように浮かぶ人物、といった具合に、それぞれに脈絡のない不気味な世界が広がっている。彼女の世界は怒りに満ちたものではない。むしろ、「状況」そのものが撮影されたモデルからあらゆる幸福感をそぎ落としているように見えるのだ。それを冷徹に見せているだけ、そんな写真なのだと僕は解釈して面白いと思った。(Gallery Out of Place選出、digmeout選出)

ある写真家は、人が生誕することと現実として迎える混沌とした世界を構成した一連の写真を紹介していた。当初、僕はこの構成に強い違和感を感じていたのだが、作品を繰り返し見るうちに次第にそのストーリーの全貌が見えていくるようになった。彼がレビューの際に説明してくれた構成について、僕は違和感を感じた点を率直に伝えてみた。生命の誕生を描く主軸にあるストーリーに、脈略のないイメージがおとし込まれているため感じた混乱を単純に思っていることとして伝えてみたが、そうではなかった。いろいろに解釈される隙間を与えつつ、ストーリーとしては一貫しており、脈略がないように見えたイメージも構成上必然的にそこにあるものだと気づかされた。

ロシアで撮影した6−7枚の写真を横一列に並べた作品は、すでにアートの領域にあったと思う。女性の顔から始まり、ヘリ、原発、口元を縛られたイヌ、農薬を散布する航空機、とくると基本的にテーマは「不安」かその界隈かと思う。一連のイメージが呼応し合い、不安を煽っていく方法はわかりやすく誰にでも同じようなメッセージを伝える。技術ではなく、画でストーリーを見せている点で高評価であった。イメージの質、トーンも均質で良かった。

奈良県の神聖なる森に入り、木の根を撮影した力作もあった。テーマも大きくなる可能性はあるし、プリントも好感が持てたが、コントラストに抑制をとりすぎたのか、構成が弱いような気がした。しかし、力作だった。もっと抑揚があってもいいのではないかと思った。

映画を見ているような不思議な感覚を憶えた写真家がいた。実際、彼には映像の経験があり、モデルや小道具である拳銃を使って非日常的な光景を映し出していた。それぞれのイメージは青を基調とした比較的暗い夕刻のトーンに落とし込まれていたが、イメージがあまりにもクリアで、不安を覚えさせるわけでもなく、平坦に思えた。展示にシナリオが二つ描かれており、それぞれが呼応するでもなく並べられていたためか。ポートフォリオにはもっと強い作品もあり、もう少し作り込むと面白いと思った。

オーストラリアの海岸沿いの街を撮影した作品の彼は、極めて完成度の高い作品を展示していた。うらぶれた感はあるものの、基本的に開放的で明るい色彩の家々の並ぶ街を、彩度を落とす手法で表現している。2−3余分なイメージがあったため作風が緩く感じられたが、これらのイメージを取り除くと全体的に締まって見えるようになると思われた。作品性は高く評価されるものの、手法も含めてまだ独自性に弱く、作家性という点でもう少し作り込む必要があるように感じられた。しかし、将来が楽しみな作家だと思った。(一般選出Top10)

モンゴルの旅の撮影をしていた写真家は、瑞々しい明るい写真が好感が持てた。旅の写真であるが、現地の人々と暮らしを共にし、彼らとの結びつきがいい表情を引き出していた。彼女とも直接話すことができたが、より多くの写真を見てみたいと伝えた。彼らの生活やそこにある様々なモチーフをよりたくさん取り上げられるようになるとすぐれたドキュメンタリー作品になり得る力量があると思った。(一般選出Top10)

こういうイベントでは、新しい表現を発掘する、という観点から写真家を選ぶ傾向があることはわかっていたため、digmeoutの皆さんのセッションで「見たこともない写真」として最初に述べた写真家を選んだ時点で、僕はある意味で正統派の表現を取り上げてみようと思っていた。あるテーマ・コンセプトを決め、そのテーマに結びつく整ったモチーフを選んで丁寧にストーリーを紡いでいく手法かと思う。最近の表現者は、先にも述べた通り感情に任せて写真活動を行う傾向が強い。そこで、その正反対の方法をとって作品性、作家性を出そうと試みていた写真家を最優秀とした。

なかがわれいこさんの作品は、年老いた祖母の肖像である。いずれ失われていくはずのこの老いた女性の残された時間に光を当てる。モチーフとなる作品の構成部品はすべてこの老人の古くからの伴侶であり、彼女の慎ましやかな生活の一端が丁寧に描き込まれていく。硬調なトーンとそれを導きだす光線の使い方、テーマを描く上で有効なモチーフの選択。さらに、写真活動が浅いにも関わらずダークルームでの活動がよく、グリッドに並べられた全体の構成も大変わかりやすく良かった。

テーマは未だ小さく、極めて個人的な体験の表出にとどまっているが、全体のまとまりは極めて高いものだった。最終的に、正統派の表現としてはモンゴルのシリーズの写真家と競り合ったが、今後の作品作りの軸足をどこに置くかによって期待が持てる写真家なのではないかと考え最終的に最優秀とした。なかがわさんには来年の銀塩モノクロームのグループ写真展参加とポートフォリオから作品販売につなげられる仕組みを提案したい。なお、なかがわさんは一般来場者の選出写真家Top10にも選ばれていた。

何名かの写真家にはTANTOTEMPOの活動を紹介し、マーケットの勉強を提案してみた。これは写真家とギャラリーが一緒に勉強しなければならないことで、意識するかしないかで作品作りにも大きな影響がある。

今回のイベントに参加し、上記の以外にもたくさんの写真家と話すことができた。話をしたすべての写真家が表現者であり、それぞれにすばらしい作品を作っていた。一方で、心配していた通り、日本の若い写真家の視野は狭い。現代の日本の写真表現の流行からか、個人的な感情や体験が積み上がっていくことを表現だと信じている。テーマの描き方も窮屈で、表現も窮屈、せっかくスペースを買い取っているのに、有効に使いきっている写真家は少なかった。ただきれいな写真を並べるだけの作家性のない緩い表現はもはや飽きられているのか、さほど多いとは思わなかった。大きなテーマを紡ぐことを若いうちこそ一度は経験しないと、大陸の写真家にスケール、フィールドの大きさで劣ってしまう。海外の写真家の写真集をどこまで解釈しているのか。そもそも見ているのか。また、作品を見てもらう、という最低限の目標に終始し、展覧会のための作品作りにとどまっているケースも多いように感じられた。さすがに、写真を始めて間もない写真家に写真の値段をつけろ、というのは酷だと思うが、個展やマーケットを意識した視点というのも若いうちに養っておいて損はない。これは僕のようなギャラリーの立場で今後さらに発言していくべきだと思った。

3日間、長すぎるほどCASOに滞在したが、いい経験になった。テラウチマサト氏、メリケン画廊の木下氏はじめ多くの関係者の願いは、TANTOTEMPOの願っていることとさほど違わない。すべての写真活動の底上げと閉塞感のある写真活動におけるキャリアデザイン、写真マーケットをにらんでのことだと思う。ただ、日本全体で見た時、どれほどのものがどれほど強くこれらの事柄にコミットするか、僕にはまだ見えてこない。本気でやればあっという間に変えられる気もする。カメラメーカーをこれほど抱えるお国柄、メーカーブースでは写真家の写真活動を応援する仕組みを教えて欲しいと問いかけたところ、自社商品の販促がかなわないイベントには関与しないと明言していた。なんという情けない経営理念だろう!表現者を生み出すだけ生み出しておいて!もちろん、言い分はわかる。彼らとて写真文化にはコミットしているのだ。表現者を名乗るものがそれを受け取るものの数を遥かに上回り次々と生まれるこの日本で、写真が真正なアートとして育ち、努力したものが報われる仕組みが育つためには、やはりもう少し時間がかかるのだろうか。写真家・写真愛好家だけが集まりお互いを評する写真イベントはあってもいいがもうたくさん、これらが広く一般に広がり賑わう日が来ることを切に願っている。TANTOTEMPOも、苦しい所帯ながら、精一杯このアイデアに邁進したい。

最後に、ギャラリー開設わずか1年半の経験の少ないギャラリーに声をかけてくださったテラウチマサトさん、ご案内をいただいたCMSの武中さんはじめみなさん、メリケン画廊の木下さん、クキモトさん、お忙しい中わざわざTANTOTEMPOに足を運んでくださったPHaTPHOTO編集部の牛島さん、丁寧な連絡をいつもくださった今中さん、面白い視点を投げかけてくださったdigmeoutのみなさん、スタッフの皆さま、本当にご苦労様でした。

ノモトピロピロさんとの出会いには特に衝撃を受けました。浅田政志さんとの再会はとてもうれしかった。一人でぽつんと昼食をすすっているときに声をかけてくださった。北義昭さんはちらっと目でご挨拶しただけでしたが、またゆっくりお話ししたいです。メリケン画廊の木下さん、改めてご挨拶にうかがいます。

参加された写真家のみなさん、おつかれさまでした。ありがとうございました。
PA171052.jpg西山武志さんのギャラリートーク&オークションが昨日開催されました。

ギャラリートークでは、西山さんの輝かしい業績を紹介し、すばらしい作品のシリーズが数多くあること、それらが非常に高い完成度をもって表現されている点について紹介すると同時に、それらのイメージを今回の展覧会で紹介せずREHABILITATIONのシリーズで展覧会を開催した理由を、主にギャラリーの立場から説明しました。

つづいてそれを補足する形で西山さんの立場から今回のシリーズを制作するきっかけになったいくつかのエピソードが紹介されました。

挫折にはいろいろとある訳ですが、交通事故や恋愛の不成就など、苦痛を伴う出来事が人々の生活や人生観に大きな影響を与えること、そんな挫折の中からも再び立ち上がり歩かなければならないその狭間に体験する苦痛を伴う日々について説明があり、そんな中から日常の風景を眺めるうちに気づく新たな体験が人を成長させるきっかけになるとの説明がありました。

TANTOTEMPOが西山さんの数あるシリーズの中から特に人間として感情的な部分を感じ取ったこのシリーズを開催したのも、実はこの部分があったからだと思います。他のシリーズも大変魅力的ですが、人としての感情が垣間見える写真の方がより身近に感じられるし、多くの共感が得られると考えたからです。

さて、その後に行われたオークションですが、意外なことに2つの作品購入の権利に対して3名の応札があり、あまり価格は上がりませんでしたが、落札者が決まりました。

TANTOTEMPOでの西山武志写真展、11月1日まで開催しています。既に6作品が販売されるなど、大変好評です。

ぜひご覧ください。



PA151015.jpg関西御苗場でレビューをしてきました。

結局この日は6名の写真家と話し、3名の関係者と話すことができました。もちろん、会場内の全員の写真を見ることができました。

写真イベントとして2回目を迎えた関西御苗場ですが、僕自身が初めての参加となったため、仕組みを理解することから始めようと考えました。どういう基準で写真家が集められているのか、それがどのような立場から評価され、順位づけられていくのか。また、カテゴリーや事前審査を持たない写真イベントの意義や運営について、僕なりに理解しようと考えながら会場を歩いてみました。

写真家あるいはグループは全体で131組。それぞれがいくつかのセクションに別れて展示されていることがわかりました。個人で参加する方もいれば、グループで展示されるもの、個人で参加しているけれど実際には会社名を記したカードなどを添えて展示がなされ明らかに商用目的に見えるもの。そしてイメージもドキュメンタリーからアートをにらんでいるもの、明らかに商用のもの、写真は素材として使っているけれど写真とはとても呼べないものも展示されていました。この辺りはいずれまたここで全体の感想とともに書いてみようと思います。

すぐれた写真家あるいはすぐれた写真家に育って欲しいと思える方は数名おられ、実際その中の何名かはお話をすることができました。皆さん写真に真摯に向かっている姿勢と同様、僕のような者にも非常に丁寧に話され好感が持てる方達ばかりでしたが、基本的にアート写真を目指しているはずの彼らでさえ、自分の作品の価値については語れない方達ばかりでした。少し意地悪だったと思いますが「あなたの作品はおいくらですか?いくらでお譲りいただけますか?」と問いかけてみたのです。

もし展覧会など個展や企画展を開催するつもりがあるなら、写真の値段などは当然のように考えていなくてはなりません。自分の写真が価値があるのかどうかを世に問いかけるのが写真展なのです。ただ見てもらって感想をもらえたら、という姿勢では写真界で飯をくうことはまずできないと思います。

今日はこれから2日目です。今日は午後早くに会場を離れますが、今日もたくさんの写真家と話しをしようと思っています。

僕の中では既に1等賞候補2人が決まっています。