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改めてアルルで出会った日本人写真家のことを書いておきたいと思います。多くはフォトフォリオレビューを受けにこられていた写真家です。50代の方から20代の若い写真家まで、様々な方が訪れていました。数えただけでも15名程度の日本人写真家を見かけ、8名ばかりの方とお話をすることができました。

写真の徳田敬太さんは2008年のコニカミノルタフォトプレミオでグランプリを取られた写真家です。写真を拝見しましたが、群像写真ともいうべき写真は、プリントもよく、構成力は非常に高いものがありました。レビューは必ずしも良いものばかりではなかったようですが、戦う姿勢は十分でした。国内で高い評価を受けている写真家が海外でどのような評価を受けるのか、日本の写真界の力量が試されているような感もあり、徳田さんの意図は別にあるとしても興味深く感じました。

本間日呂志さんは東京から参加された写真家です。
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既にプロとして活動されていますが、今回新たな可能性を求めて参加されたそうです。作品はキャンバスに銀箔を張り、その上から特殊なインクジェットでプリントする手法ですが、多くのレビュアーから高い評価を受けていました。なかには"Perfect!"と一言だけ言って自分のギャラリーの名刺を渡し「ぜひ訪ねてきて欲しい」というレビュアーもいたそうです。実際、作品はHeavyDutyの形跡が豊かで、独創性も高く、TANTOTEMPOも大変興味を持った写真家です。

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藤沢武子さんは2007年PARIS PHOTOで若い写真家に与えられる""SFR Young Talents Paris Photo Winnner"という最高賞を受賞された女性です。僕も実際その年のParis Photoで彼女の作品をみましたが、作品はマンションを見上げる公園らしき芝生の上で若い男女が昼寝をしているという作品だったかと思います。「日本的」な都市風景をコンセプトとしたことが受賞理由だったと思います。そのときは単作品での受賞だったのですが、今回持ち込んだポート
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フォリオはいわゆる日本の都市を歩いて撮影した「日本的な」光景のポートフォリオでした。オランダのレビュアーだったかと思いますが、その「日本的」なものを含んだ一連の作品について、「わからなくもないがこれらはいわゆるシークエンス」であると説明。写真家の意図は残念ながら伝わっていませんでした。他のレビュアーの評価は別にしても、ある特定のコンセプトが通用しないという例は多々あり、コンセプトが狭小または窮屈だと少し厳しいレビューとなる可能性が高いと思います。むしろ新しいヴィジョンやメディアを意識した作品全体にかかる作り方そのものに重きが置かれているような印象を受けました。彼女はウェブサイトなどを見ても実力のある写真家ですので、世界の写真の潮流から学んで再度チャレンジして欲しいと思います。

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角田和夫さんは非常に長い写真のキャリアを通じて優れた写真を撮影されている写真家です。今回2回目のチャレンジだったとのことですが、1回目は言葉の問題でうまく写真のコンセプトが伝えられなかったため、今回は通訳を現地で雇っての参加となりました。林忠彦写真賞を受賞するなど実力のある角田さんですが、今回は高い評価を受け、あるギャラリーからプリントを持参するようオファーがあったとのことです。写真集や大型のポートフォリオ、プリントなど大きな荷物を持ち込んでの苦労が報われている感じで、角田さん自身も大変喜ばれておられたと思います。

その他にも直接レビューを拝見することはありませんでしたが、
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安中るなさんとKenji Hirasawaさんもアルル会場内のブックストア近くでお目にかかりました。立ち話でしたが、どうしてアルルに来られたのかお聞きしてみたところ、やはり日本での活動が国内で評価をされないことへの不安や不満、国外でチャレンジする気持ちをもって訪れていることがわかりました。これらの写真家が国内でどのような評価をされているのか詳しいことはわかりませんが、やはりアルルでの写真の評価基準にふれることや他の優れた写真活動を肌で感じながら、自らのポジションがどこにあるのかを確かめにきていたような感があります。

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出会いの場として設定されていた写真集出版社やギャラリーが集まる会場では、日本の写真家を多く扱うパリのギャラリーSophie Boursatさんに日本の写真家が参加されていました。藤原敦さん(中央)は、自主出版誌ASPHALTを制作されている写真家のおひとりで、Chon Songteさん(左)とともに参加されておられるとのことです。ASPHALTはモノクロのどちらかと言うと抑制の利いた、コントラストの強い作品・作家を多く収録されている自主出版されている雑誌です。現在5号まで発行されているとのことでしたが、10号まで発行し活動は終了するようで「グループで制作するアート写真マガジン」というコンセプト自体も売り込んでいる訳です。こういう一見地味だけれど社会にグループとして問いかけようと言う試みには頭がさがります。ギャラリーのソフィーさんは、日本の写真家の作品を数多く集めてパリのギャラリーで活動されており、TANTOTEMPOでも写真展を開催した田中亜紀さんやフォトグラファーHALさんなどのオリジナルプリント、冬青社ほかの写真集も持ち込まれていました。

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この他、会場には学校のプログラムでアルルを訪れていた写真専門学校の学生も来られていました。青木秀平さんは22歳の学生として訪問、Rock Trailの会場で声をかけましたが、あらゆる規模や質で桁違いにおおきなアルルの写真の枠組みについて、大変面白く参考になるし日本では見られない多くの優れた作品を目の当たりにすることができて有意義な滞在だと感想を語ってくださいました。

このように、アルルには毎年多くの日本人写真家が訪れています。多くの若手は自分の実力をそもそも海外に問いかけていくか、日本の写真のシステムに乗り切れないところから国外に挑戦していることがうかがえます。本間さんのように、国内での評価軸からはじき飛ばされた写真家が海外で華々しくデビューすることについては、一概にはいえないけれども、文化リソースの海外流出とも読み取れるし、ある意味日本のシステムが逃してしまった才能となる可能性もある訳です。しかし、これらのことは様々な角度から検証した方が良さそうです。アルルや他の国外のアート写真の枠組みは、日本のそれとどう異なるのか、それぞれどのような特長があるのか。

次回、最終章ではアルルで読み取れた世界の潮流と日本の写真の未来について書いてみようと思います。
R0011296.jpg【写真上:フェスティバルのメイン会場】

11日の日曜日朝に無事南仏から帰ってきました。2日間ぼけていますが、今日こそは書かねばなりませんし、眠らなければなりません。

アルルの町をあるいていると、この写真フェスティバルでは様々な仕掛けで写真に関わる人をとり込もうとしていることがわかります。これらの枠組みには、A.コンセプトに基づいた写真展覧会、B.招待国であるアルゼンチンの写真家やアーティストの写真展、アート展、C.LUMAという芸術振興財団による新しいコンテンポラリー寄りの表現のコンテストや写真の歴史本の表彰、D.著名なコレクターのコレクションを一堂に集めた展覧会、E.ある特有の被写体を対象とした著名写真家の展覧会、F.若手写真家を紹介展などがあげられ、これにフォトフォリオレビューとワークショップ、そして夜のセッションが積み上げられて構成されていきます。今年この枠組みには6つのテーマが与えられていました。ひとつはHigh Society Photoと題した、いわゆる富裕層の写真の露出です。富裕層は元来写真好きで、ポラロイドや35mm判カメラを用いて自宅に招いたゲストなどのプライベートフォトを撮影していたわけですから、それらが露出されて面白くないわけがありません。それがレイトショーで暴露されるといった内容です。

【写真右:ミック・ジャガーが今回特別に許可したとされる自身の写真を撮影したシリーズ】

また、ロックを撮影した写真家が紹介され
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、現在まで最も撮影されたアーティストとしてミック・ジャガーが取り上げられていました。その他、パティ・スミスなどのモデルとそれを撮影したメープルソープのように、ロックアーティストと写真家、ロックアーティスト自身が写真家として活動をするなどといった1980年代当時もっとも進んでいた前衛的なアートとしての"Rock"が恐ろしく整然と取り上げられていました。実はこの"Rock"のコンセプト、ディレクターのエベル氏がアルルに関わり始めた2年後の1987年に一度アルルのテーマとして取り上げられたそうです。それがものすごく写真界に影響を与えたとエベルさんは語っていて、その理由としてロックがそのものずばり"avant-garde"であったこと、そしてパンクなどいっさいの禁じ手がロックにはなかったためだと説明されていました。実際、放尿のシーンや性器の露出、ドラッグなど、本来整然としていたはずの被写体と撮影者の関わりはそのときに破壊され、堰を切ったように新しい表現が生まれてきたのだ、とのことです。この説明には大変説得力がありました。その"Rock"が回顧され再び取り上げられているのです。まさにHeavy Duty and Razor Sharpです。

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【写真:エルンスト・ハースの展示】

その他、フィルムフォトグラフィを象徴するいくつかのカラー作品が、Ernst Haasを中心に紹介されるなど、フィルム写真文化へオマージュとして展開されていました。また、ドキュメンタリーも質の高い展示とプレゼンテーションが行われており、2005年のイラン大統領選挙で勝利した強硬な反政府組織弾圧を繰り広げるアフマニネジャド氏の大統領就任からイラン入りし、反政府組織のグリーンパーティーを取材、盛り上がる2009年の大統領選で26歳の女性がイスラム革命防衛隊によって射殺された事件をめぐって市民ジャーナリズムがイランの地で勃興しネットを利用して広く情報が世界を駆け巡ったことに触れ、市民ジャーナリズムの新しさと危うさを提示することに成功したフランス人写真家Paolo Woods氏の作品展も独立展として質の高い展示がなされていました。



アルルは中心となる旧市街と、その周辺に作られた新しい町があり、当然旧市街が写真フェスティバルの舞台となっています。古代ローマ時代に建てられた古代劇場や円形劇場、その周囲に複雑にめぐらされたふるい家屋と狭い通路。そんな中を歩くだけでも面白いのですが、多くの写真展が本当に古い大聖堂や居宅、修道院、教会、廃墟や倉庫跡などを利用して行われています。総予算5億円、その50%が国と地方政府、アルル市の予算拠出、25%が入場料収入と企業協賛金、グッズ販売、フォトフォ
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リオ参加費などであてられ、驚くべきことに残りの25%が個人の寄付によるのだそうです。税金対策もあるのでしょうが、この数字は実に驚くべきことだと思います。個人のコレクターとしても大変名高いフランスの映画プロデューサであるMarin Karmitz氏は、Antoine d'Agata氏や杉本博司氏の作品を所蔵、なんとEditionが1という個人仕様の作品なども所蔵しているようで、なんとも桁違いな豪華さでした。


次回は日本の写真家のレビューの様子を記します。



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7月5日、マルセイユからレンタカーでの2時間足らずのドライブでアルルに到着しました。途中のドライブルートは高速道路A7からA54に乗り継ぐもので、基本的に道路はよく整備されていて快適なドライブでした。

ヨーロッパは連日猛暑で、気温が40度を超える快晴の毎日です。

アルルには午前中に到着し、ホテルにテェックイン後、旧市街の駐車場に車をとめ、ドクトルアントン通の事務局に向かいました。ここでは、僕は夜のイベント以外はほぼすべての会場にアクセス権のあるプレスパスを、同行者のTANTOTEMPO代表と甲南女子大学の馬場先生は有料だけれどすべての会場にアクセスできるプロパスを受け取りました。僕はもともとギャラリスト登録ですが、アルルの枠組みの総合ディレクターへのインタビューを申し込んでいたため、ジャーナリストとしての登録をしてもらうことができました。【写真上:今年のキーイメージ「赤いサイ」が施されたパスカード】

TANTOTEMPOがアルルに参加した目的は3つあります。ひとつは、写真に関連した教育活動の取材、大きな写真イベントの予算規模と会場編成の調査、そしてレビューの質の調査と写真家との出会いです。

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【写真:レビュー会場となっていた古い建築物をモダンに改装した建物】

当然のことながら、大変多くの情報を直接主催者から得ることができました。インタビューに答えてくださったアルルの総合ディレクター、フランソワ・エベル氏は、取材に際しビデオによる取材も許可してくれました。聞きたいことには何でも応える、という姿勢だったと思います。おかげで予算規模、予算編成、教育、日本の写真の印象など、多くのリアルな情報にアクセスできたのではないかと思います。これはいずれまとめて公開しようと思っています。

さて、「アルル・写真の出会い2010」と直訳されるアルル国際写真フェスティバルですが、大変大きな規模のイベントです。事務局、公式写真展会場、イベント会場を含めると、全部で30を超える会場があり、それがアルル市内2km四方に分散しているのです。また、一部の会場はアルル郊外の修道院に設置されていました。さらに、プレミアムウィークと称された7月3日からの2週間は、特に最初の数日、連日古代劇場-Theatre Antiqueで夜のイベントが開催されるなど、まさにお祭り騒ぎです。そしてそのお祭りに多くの写真家が集い、自らの作った作品をたくさんのプロフェッショナルなレビュアに問いかけるフォトフォリオレビューで成り立っているのがこのイベントです。

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【写真:レビュー会場でレビューを待つ人々】

日本の写真家も、ざっと見かけただけで15名程度、実際にインタビューを取れた方は8名に上りました。そのうち4名の方はフォトフォリオレビューの現場を許諾を得て取材させていただくことができました。それぞれにすばらしい写真を撮られていて、実際にポルトガルのギャラリーに呼ばれて作品展をオファーされた写真家もいます。一方で、大変優れた作品を制作されているのに十分な成果を上げられなかった写真家もおられました。レビューの質は大変高く、レビュアーは決して曖昧な結論を伝えることはない様子だったと思います。むしろ、どうしてその作家が評価されないのか、丁寧に伝えようとしていた印象を受けました。そして、それがそれぞれの作家に納得のいく説明になっているところがレビュアとしての適格性・資質を示しているのだと思います。それぞれの写真家は、皆ではないにせよ日本でもレビューなどを受けた経験があるのですが、日本では多くの場合写真家がレビューを担当し納得できる理由を示されることは少ない、と語っていました。欧米では高い評価を受けているのに、日本では写真展の可能性や写真集出版の可能性につながっていくことはほとんどないとのことでした。

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【写真:教会を展示場とした展示風景】

全体を通して日本の写真活動の紹介は全くといってありませんでした。唯一、LUMAという芸術振興NPO財団が選出した写真家に日本人が選ばれていましたが、写真集の展示に至るまで日本の出版社の日本人の作品に触れる機会はほとんどありませんでした。日本人がレビューを受けにくるのは決して少ない訳ではないのに、です。この理由も写真を巡る欧米のシステムの違いに照らしていけば簡単に説明が可能です。ドイツの出版社の説明によると、やはり写真は外に向いた表現でないと評価を受けにくい、といいます。志賀理江子などの写真集も強くて好きだが、内面的だ、扱いが難しい、と説明されていました。現代の日本国内で高く評価されている写真家や写真活動がほとんど紹介されていない事実は、やはりきちんと分析すべきだと思います。中国や韓国などの他のアジア諸国は、フランソワ・エベル氏によると、かなりの勢いでマーケットを確立しつつあると言います。それに伴い、取り上げられる写真家も多くなってきているのです。

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【写真:Theatre Antique-古代劇場にて午後10時から開催されたアルル公式ステートメントの発表を待つ人々】

今回のイベントのコンセプトは"HEAVY DUTY AND RAZOR SHARP"というものでした。直訳すると、「重労働とカミソリのような鋭さ」ということになると思います。このコンセプトで作られた写真展はどれも本当にすばらしいものでした。世界の一流の、あるいはいずれ次の世代を担っていくだろう若手の写真展は、どれも安易に作られたものはなく、自分の脚で稼ぎ創意工夫で作品のレベルまで作り上げられたものばかりです。作品の展示やプレゼンテーション全体にまでとてつもない趣向が凝らされ、工夫がなされ、そこを訪れた一般の方に驚きを与え写真ファンを増やすあらゆる試みがなされていました。展示会場となる古い建築物もどれもすばらしく、その建築物の特徴を生かす空間デザインがなされ、町中が有機的につながっているかのようでした。アルルは町中写真にあふれかえって、ものすごい数の観光客、写真ファンでにぎわっているのです。

次回は総合ディレクター、エベル氏のインタビュー内容についてまとめてみます。ぜひお楽しみに。

文・馬場伸彦(メデイア文化論)

 

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寺山修司/森山大道『あゝ、荒野』200512月 パルコ出版

 

 『あゝ、荒野』(1966)は、寺山修司の書いた唯一の長編小説である。「あとがき」によれば、この小説は「モダン・ジャズの手法」によって即興描写で書き綴られたという。「書きながら登場人物がどう動いていくかを(登場人物と一緒に)アドリブで決めてゆくという操作は私にとって新鮮な体験であった」。寺山の言葉に従えば、登場人物の話も気分任せ、物語の結末も気分任せであって、あらかじめ想定されたプロットや構成はないことになる。したがって、結末は即興で書いた結果でしかない。

即興演奏のプレイヤー(まさしく役者)は、物語の冒頭に「あゝ、荒野のための広告」と題してあらかじめ紹介されている。まず、二木健二(愛称バリカンと呼ばれる床屋の無宿ちんぴら、二木建夫(バリカンの父親)、新宿新次(ユリシーズの肉体をもった二十歳のボクサー)、曽根芳子(性にしか関心をもたない女店員)、といった具合だ。

さながら劇画のキャラクターのようだが、寺山の特異な文章によって、彼らはあたかも実在の人物のように生き生きと動き出す。『あしたのジョー』のキャラクター、力石徹の葬儀を行ったのは寺山であった。虚構と現実の境界をいとも簡単に溶解させてしまうのは、寺山の得意技であろう。

すべてがアドリブだという主張をそのまま鵜呑みにするわけにはいかないが、実際、この小説には、物語の枠組みを越境し、さまざまなコンテクストが介在しやすい仕組みが随所に散見できる。たとえば、ブルースや歌謡曲の歌詞の引用、CMのコピー、売れている商品やベストセラーの本などなど。それらはすべて実在するものであり、60年代後半の新宿を表徴し、共鳴する記号であった。しかも、寺山は章のはじめに短歌を添えている。物語とは直接関係のない短歌であるが、この短歌の余韻が通底音となり、独特な雰囲気を醸し出していく。また、小説の本文にも特徴がある。明朝体を基本としながら、時折ゴシック体に変わり、変化させ、視覚的に差異化を図る。こうすることで、ゴシック体の部分は強調されるのであるが、それは、即興演奏におけるアクセントであったり、ドラムの印象的なフィルインであったり、情感を盛り上げるサキスフォンのソロパートのような役割を果たしている。「すべてのインテリは、東芝扇風機のプロペラのようだ。まわっているけど前進しない」、「老人に必要なのは、諦めではなくて、もっとひどい絶望か、あるいは偽りの希望かの、どっちかなのだ」といった、ゴシック体によるアイロニカルな表現に出会うとき読者は、不意にカンターパンチをくらったような気分にさせられることだろう。

 本書は、1993年河出書房新社から文庫本として刊行された原本(66年に現代評論社より刊行)に森山大道の200枚を超える写真を加えて再編集したものだ。その意味で、これは森山大道の風変わりな写真集ということもできる。野良犬のような鋭い眼差しで彷徨い、60年代の新宿の表層を切り取っていく森山の写真。都市から剥がされ、印画紙に定着したその映像は、深層への道標となり、読者の目を直接、失われた過去へと結びつける。

無論、森山の写真はこの小説のために用意されたものではない。たまたま同じ時代、同じ場所が題材となった「偶然」の結果に過ぎない。しかし書物という場に交錯した「偶然」と「偶然」は、もはや単なる挿絵やイメージ写真といったレベルを超え、強い共犯関係を生み出している。短歌、物語、写真といった異なる表現形式が赤コーナーと青コーナーに分かれて戦うボクサーのように火花を散らし、不安を煽り立てる森山の写真が、劇場都市の欲望をありありと浮かび上がらせる。

森山が大阪から上京したのは1961年であった。最初に出会った街こそが「新宿」であった。「この街は、ぼくのあらゆる生における現場であり交叉点だ」と森山はいう。混沌としたカオスのごとき60年代の新宿。モノクロームの写真に象徴される光と闇。そして、隣り合わせの生と死。物語と交互にインサートされた森山の写真が、「憎まれることで愛される」と信じるバリカンと肉体を燃焼する行為にしか生きる意味を見出すことの出来ない新宿新次とのボクシング試合の隠喩となる。

「ふいに、〈バリカン〉は子供の頃のお祭りを思い出した。おみこしがだんだん遠ざかってゆく。おみこしと一緒に群衆も遠ざかってゆく。俺だけは取り残されているのに、誰もそのことに気がつかない......みんな後ろ向きだ......みんな去ってゆく。親父さん、俺はここにいますよ。親父さん、俺はいま、ここにちゃんといる......だから誰もどこへも行かないでくれ。誰もどこへも行かないで下さい。俺はとうとう「憎む」ということが出来なかった一人のボクサーです。俺は、まだ醒めている。俺はちゃんと数をかぞえることもできる。俺はみんなが好きだ。俺は「愛するために愛されたい」五十四発......五十五発......五十六発......五十七発......見ていてくれ......俺はまだ、ちゃんと立っている......五十八発......五十九発......六十発...六十一発...(中略)...七十五発......七十六発......七十七発......七十八発......遠い......目の前が一望の......荒野だ......七十九発......八十発......」。バリカンの死亡証明書で物語は閉じられる。

「もしかしたら見えるかもしれない、たった一枚の、来るべきイメージのために、ひたすら自身にのみ向けて、日頃、撮りつないでいるような気がします」という森山の写真に対する姿勢は、二人のボクサーの死闘と重なり合う。

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文・馬場伸彦(メディア文化論)

 

思えば「家族」という関係は不思議なものである。それは何か目的や理由あって集う集団ではない。家族は宿命的に関係づけられ、ある一定の期間、住居を共にする共同体の基本単位といえよう。夫婦という単位には子供の存在は前提ではないが、家族という言葉には夫婦とその子供といった、少なくとも二世代にわたる血縁関係が不可欠のように思われる。

家族の歴史とは世代の継続の上に刻まれるもので、戸籍や家系図がそれを制度化し強制する。しかし関係性という観点から家族をあらためて見つめ直してみると、宿命的な繋がりを条件付けられているものの、決してそれは安定した関係ではないことが分かる。関係性を築く基点は個人であり、個人は家族という共同体に属さなくても存続可能だからだ。したがって家族という関係性を安定した状態に保つためには、宿命的な繋がりを確認する機会、いわば通過儀礼や儀式といったものが不可欠となる。七五三や節句、クリスマスやお誕生日会、家族旅行や冠婚葬祭などは、日常で意識されることのない家族の関係性を再確認する契機として機能する最たる例だ。そうした儀式は「記念日」と呼ばれ、鮮明な映像でその後いつでも取り出せるようにと、「記念写真」が撮られるのである。

 浅田政志の写真集『浅田家』における「家族」とは何だろうか。私たちはその「記念写真」のような表象から何を発見するのだろうか。浅田の写真は、大別すれば「演出写真」に分類される。彼の写真は「決定的瞬間」ではなく、「逃げ去るイメージ」を捕らえたものでもない。それは撮影される以前に、家族会議によって既にイメージが想定されており、プランにしたがって衣装や場面が準備され、家族の「記念写真」となるのである。つまり、『浅田家』における写真は予めできあがりのイメージが程度の差こそあれ家族の中で共有されているのである。だが、『浅田家』が単純な「演出写真」なのかといえば、そうではない。シーンを演じているのが実際の浅田家の家族であるために、その演出意図はいわゆるコスプレ写真や擬似的ドキュメンタリー写真とは異なる様相を帯びている。

写真集のページをめくる私たちは、様々な職業、様々なシーンを演じている「浅田家」の人々に出会う。もちろん彼らが実際の家族であることは周知である。セルフタイマーで撮影されるから、撮る者自身も被写体となり構図の要素に回収される。写真集の最初の一枚は、共同体の象徴である表札からはじまる。唯一演出のないこの写真が私たちを、家の中へと導いていく。「浅田」という家名は、海水浴場の看板に、ラーメン屋の制服に、選挙立候補者の襷に、そしてヤクザの邸宅の玄関に反復される。こうした反復される記号作用によって、場面設定における意味を直截的に読み取ることが拒否される。私たちは、浅田家の「家族」という概念を経由せざるをえなくなり、共犯関係を結ぶのである。換言すれば、見ることを通じて演技者たちの関係性に否応なく巻き込まれてしまうのである。

浅田は「僕の写真は記念写真」だという。「けれど、いわゆる普通の記念写真とは少し違います。普通は、どこかに出かけたらメインの場所でパチリ。みんなでたまたま集まったら並んでパチリ。それはそれでもちろん良い。写真だなって思う。 でも浅田家の記念写真は、みんなで休みを合わせて、場所を借りたり、服を決めたり、シーンをみんなで考えたりして写真を撮ります。それは自ら記念をつくっていく記念写真です」。

たいていの場合、写真を撮るという行為は個人的な関心を出発点とする。作品は作者が表現したいイメージを具現化したものであり、それは自我の鏡となる。写真家は世界を「どのように見たのか」という帰結、「どのように見たかったのか」という欲望の表象として写真作品は生起するのだ。その意味で、作品は写真家の美意識や価値観の中に「閉じた」構造となる。しかし浅田の写真は社会に向けて開いていく。なぜなら、そこに写っているものは家族そのもの姿ではなく、家族が一緒に作品を創っていく「過程」が表象されているからだ。「本当は写真でなくてもいいのかもしれない。ただ、そこから動き出すものを信じています」と浅田が語るように、それは作品を媒介に、動きを生み出すことが意図されている。つまり「未完成」の状態のまま作品の評価を観る側に委ねていくのである。誰もが理解できるステレオタイプ化された場面、雰囲気を演出する小道具の手作り感に溢れた適当な造形は、写真を見る私たちに能動的な参与を要求する。この参与性の高さが浅田作品の面白さなのである。浅田の写真は、未完成さを演出することで、「開いた」構造の作品となる。

家族を被写体にした演出写真といえば、砂丘を背景にした植田正治の作品が思い浮かぶ。植田が絵画的な構図を得意としたのに対し、浅田の写真は演出を加えながらも、家族のリアルな関係性が図らずも描き出される。「芸術的」完成度を求めた上田作品の対極に浅田作品は位置づけられる。

幸運にも彼のコンタクトを見る機会があった。印が付けられ選択された写真は、通常の「記念写真」のような静的なものではなく、より自然な動作、より臨場感のあるものが選ばれていた。まさしく、それは動き出しそうな静止画像であった。浅田の写真は「コミカルな」という形容詞が附与されることが多い。「家族」総出で、大真面目に演技しているところに滑稽さと温かさが否応なく滲み出てしまう。私たちはそんな家族の姿に共感を得る。失われた家族の物語を私たちは発見し、自らの家族の記憶と接続させるのである。この接続作用こそが浅田的家族写真の真骨頂なのだ。(写真は浅田政志『浅田家』赤々舎より転載した)

 

 

写真集や写真展に関連して、近日中にコラム連載を始めます。

コラムニストとして、甲南女子大学文学部メディア文化論教授、馬場伸彦先生をお迎えしてコラムの連載を開始します。

内容ですが、現在のところ写真集や写真展、写真家に関する馬場先生の鋭い知見をご紹介いただくことにしています。

不定期掲載ですが、お楽しみに。

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