萩原義弘さんの写真展"SNOWY III"のトークショーを開催しました。
東日本大震災の影響でいろいろなイベントが中止または自粛ムードになっているのですが、萩原さんは「やろうよ、やろう」と神戸に来てくださいました。
都内に住む萩原さんは余震で揺れまくっていると話されていましたが、神戸のほとんど揺れない環境にほっとしている様子もありました。
トークショーは僕が司会でスライドショーをコントロールしながら、萩原さんにお話しいただく形式で行いました。
まず、萩原さんの写真体験の最初のきっかけについて尋ねました。いわゆるグラフ誌が世界の様子や写真のおもしろさをまざまざと見せつける時代だったことが写真に触れるきっかけだったこと、さらに写真がまだ生き生きと新鮮だったころに大学で写真を学ぶことになった体験を話されました。さらに、写真を学ぶ過程で体験した一つの偶然、一つの事件がその後の写真家としての基本的な姿勢や作品制作の方向性を決めていったことが紹介されました。その事件が、夕張で90人あまりがなくなった1981年の炭鉱事故で、たまたまその近くに居合わせその地を訪れてうけた衝撃が炭坑の暮らしや人々に視線を向かわせるきっかけになったことが説明されました。
その後、国内の石炭価格が上昇し、エネルギー資源が石油にシフトしていく中、炭坑が廃れ閉じられていくのを目の当たりにしながら、夕張だけではなく全国の閉山した炭坑や鉱山を撮影してまわりそれが大きな幹となるシリーズ「巨幹残栄」となり、高い評価を受ける経過が語られました。
ドキュメンタリーの写真の力量はおのずその被写体と自分との関係性によるし、いかに事実を写し出すものであっても、その写真がひとのこころに届くためには美しくなくてはならない、との持論を力強く話しておられたのが印象的でした。この考えに基づいて新たな幹として撮影されたのがSNOWYのシリーズです。廃坑や閉山した鉱山を「廃墟」と呼ぶことをかたくなに拒むのは、まさにそれらの「遺物」がまだ生きていて、ただ崩壊を続けているにすぎないのだ、という萩原さんですが、その説明にはとても説得力があります。そこに雪というモチーフを持ち込んで、崩壊に寄り添う言語としてこれを用い、崩壊の過程がよりはっきりと示されるよう強く美しい光の陰影を写し取っていく制作のプロセスがあるわけで、オリジナルで真似のできないリスクの上に描かれているからこそ優れた作品になるのだと思います。
危険をおかして撮影に出かけ、ほんの数カットを撮影するために雪原を往復するなかに、作品を制作するこころの活動の真摯さと情熱があります。この態度こそ、若い、作家を目指す方々にはぜひ見習ってほしい、とトークショーを締めくくりました。
トークショー後はレセプションパーティーを開催、萩原さんを囲んでひとの輪ができ、カレーやオリジナルのSNOWYというお菓子で来廊者の方にお過ごしいただきました。トークショー当日に作品が2つも販売されるなど、萩原さんにとっても本当にうれしい反響だったと思います。
作品を作る、売るという行為の責任という点で、萩原さんはプリントの美しさにも常に配慮しており、すべてに責任を負うことが写真家の仕事なのだ、と繰り返されていました。まさにその通り、いいトークショーだったと思います。

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