東日本を襲った大震災は、明らかに阪神淡路大震災よりも深い傷跡を残しそうな様相を呈しています。町や村が丸ごと津波に押し流された映像を見るにつれ、直近の被災者救助や物資食料の支援は最大限国力を挙げて行うべき最優先の課題であることは疑う余地もありませんが、震災の復興がどのように進められていくのか、という点にも思いを巡らさない訳にはいきません。
町がもはや町の様子をとどめておらず、学校や港湾、道路、病院機能といったインフラのすべてを失ってしまうと、さらには第一次産業である漁業の壊滅的被害や農業特に田畑の流失・塩害を考えると、その地に仮設住宅さらには復興住宅を建築して、田畑の塩抜きをして、道路を造って橋を渡して、学校を整えて、病院を再建して、と途方もない時間と資金と労力が費やされ、さらにそんな町が無数にあるという途方もない現実を突きつけられ、呆然と立ち尽くすしかない気持ちになるのです。
神戸で震災を経験した時、がれきの積み上がった街を見て復興など不可能ではないかと思う気持ちもありましたが、3週間もすれば人々のささやかな営みの中から不思議と再興への勇気のような感情がみなぎってきた記憶があります。しかし、それは途方もない現実に向き合うときに必要な組織的な復興へのかけ声が、民族や地域を越えて、持続的かつ高らかに続けられてきたから感じられたものだと考えています。街を復興させるという一大プロジェクトは、あらゆるリソースを持続的に集め、強力な政治と指導力のもと、各界各層の調和によってのみ実現可能だと確信できるのです。
ある町の教育や文化リソースがある日こつ然と消えてしまった場合、僕たちはその復興のために何ができるかを考える必要があります。アートの活動から支援できる方法論とは、誰がいつどのような方法で誰を(何を)どの程度復興させるか、を考えることだと思います。そこで僕は一つの方向性を示してみようと考えました。それがSocio Artsです。
ソシオという言葉でもっとも知られているのは、FCバルセロナというスペインリーガのサッカークラブの運営構造です。スペクタクルで強大なサッカーチームのもっとも根幹をなす組織は、15万人ともいわれる全世界の会員がささえているソシオです。総資産10億ドルという途方もない資金構造が支えるのが、世界一のサッカーチームだというのはとてもおもしろいことで、日本では考えられないことだと思います。ここには一貫したチーム愛と、サッカーというスポーツへの参加があり、持続的で熱狂的な支援は途切れることがありません。そのかわりチームはスペクタクルなプレーを義務づけられ、優勝という目標に向かって一丸となって邁進できるのです。
アートが社会参加して町を復興させることはできません。しかし、アートが参加して持続的かつ効果的に何らかの社会インフラを支えることは可能かもしれません。僕は震災について個人的な義援金の支払いは行いましたが、やはりアートという構造から支えるものとしては、教育インフラと文化芸術あたりに狙いを定めて支えてみようと考えています。アートに参加する人々が一斉にではなくても少しずつ参加するソシオのような構造をまず作り、その構造が認証する憲章やロゴのもと展覧会を開催し売上金の一部を捻出し、募金箱をおいて募金を募り、2年なり5年なり少しずつでも支援の輪を広げることができれば、学校の一つや二つは建てられるのではないかと考えています。
バラバラな構造なきアートがあちこちでチャリティーを組んで活動を始めています。それぞれが尊いことには違いはありません。しかし、アートにとってもこんなまとまる機会はありません。せっかくですのであらゆるアートの担い手がまとまって、構造として教育や芸術文化を被災地に呼び戻す大きな活動へと発展させられたらどれほどすばらしいだろう、と考えるのです。ソシオのようなうねり、ソシオのような小さな愛の積み重ねのような巨大な力を、途方もなく大きなものを失った人々におくりたいと願っています。
ぜひSocio Artsという一つの考えを読み取っていただき、ご賛同いただけるのであれば一つの統一ロゴ、一つの憲章のもとに活動してくださるようお願いいたします。すでに大きな強い枠組みがあるのであれば、私たちもぜひそこに合流させてください。文化庁や文部省、地方自治体、美術館などにも働きかけられる支援組織を構造し、ぜひ多くの文化芸術の担い手のみなさんとともに社会参加、復興支援に挑戦したいと思います。

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