僕も昨年に引き続きレビュアとしてお呼びいただき、14日16日と最終日17日の表彰式とCASOを訪れ、多くの方の作品に触れることができました。
この写真イベントは、写真を始めて間もない人からある程度実力を備えている写真家まで、あまり制限を加えずに写真作品を募集・展示し、レビューを受け、最終的には表彰を受けるというイベントです。また、一般ブースと写真を学ぶ学生のブースとをもうけているのが特徴かと思います。もちろん、コンテストではないので単に優劣を競うものではなく、あくまで写真家と写真家の作品を社会に問いかける、またすぐれた作品はアートや写真の担い手につながる仕組みを有しているのが最大のポイントとなっているのです。
レビュアは写真やアートの担い手にゆだねられていて、ThirdGalleryAyaさんやTANTOTEMPO、ShakeArtさん、東京のB Galleryさん、digmeout art & dinerさんなど、それぞれ特徴のある活動を行っているアートの担い手が会期中会場を訪れ、写真家はそれぞれのレビュアに自分の作品を示しレビューを受けることができるようになっています。
僕も3日間に25名近い写真家と話をすることができました。声をかけていただいた方も多かったのですが、今回はこちらから声をかけてのレビューも行うことにしました。
全体的な印象ですが、昨年と今年とを比べてみて全体的には質が向上していることがうかがえる展示だったと思います。募集開始からブースが埋まるまでさほど時間がかからなかったと聞きます。参加者のこのイベントへの期待度がうかがえます。また、運営上も、事前に出展を考えている方に作品作りや展示方法についてヒントを与えるイベントを開催するなど、多くの時間をさきながら熱心にイベントの全体像を構築する努力を払っておられたことが印象的でした。レビューをする我々にはノミネート作品を3作家選びその中から最優秀の写真家を選ぶよう指示がありました。
さて、全体を見渡して単純に構成だけで眺めてみると、全体の2/3以上がある種ストーリーやコンセプトに基づいて構成された組み写真、1/6が写真そのものの美しさを問いかけている写真、残りがそれ以外の写真、といった区分だったかと思います。多くの方がストーリーやコンセプトを問いかける構成にチャレンジしていた訳ですが、さて展示された方の意図がどれくらい伝わったのか、ノミネートや表彰に至った作品も含めて少し厳しい現実があったと思います。写真が理解されたのか、理解されなかったのか。
僕がレビューをさせていただいた方の所感を書いてみようと思います。
鍋田さんは昨年に引き続きの出展でした。昨年は自分と家族とをモチーフに未来へとつながる不安や希望を表現されていました。今年の展示は、写真プリントの表面がスクラッチのようにはがれた作品を展示されているのが印象的でした。「これはスクラッチですか」と問うと、水の中に放置して自然にはがれたものだとの説明がありましたが、写真の表面を傷つける手法自体はあまり珍しくはありません。映り込んでいる元々の写真自体がわかりにくく、1枚しか読み取れなかったためいわゆる技法で見せようとする作品だったかと思います。写真の表面の傷が「写真」という実体にどう変化を及ぼすか、というコンセプトでしたが、それならもう少し本来の写真の内容を工夫しておいたほうが良かったのではないか、と評をさせていただきました。
大島さんは「闇を穿つ」という表題で展示をされていました。明らかに暗い背景と、ストロボ撮影で得られた強いコントラストの人物や手、動物などを配置し、文字通り闇に閃光を放つことから得られるそのとき浮かび上がった像を孔を穿つ、穿孔、と比喩するコンセプトで描いている作品でした。彼女の作品にはわかりにくさはなく、写真のひとつの試みを行っている雰囲気が強く好感が持てました。また、「食べる」という表題のブックが置いてありましたが、人間本来のもっとも原始的な行為のひとつである「食べる」という行為について、ブックでうまくまとめあげているのが印象的でした。凝った演出もない、忠実に研究を繰り返しながら作品を構成しているかのような印象を持ちましたが、すこし地味な展示でもありました。彼女の作品は研究の熱心さに対してノミネート作品に選考しました。
臼井さんは郊外や地方で撮影した黄金色の風景をまとめた力作でした。光線の加減がもっとも美しい時間にその町を歩き、どの作品にも黄金の光が降り注いでいる美しい風景写真でした。全体のまとまりもよく、意図もはっきりしており人々のこころに響く作品だと思いましたが、まとまりが良い分作風が古く感じられるため、例えば都市風景なども混ぜて全体のスケールを大きくするなど、展示も工夫する必要があると感じられました。
松浦さんは昨年に引き続きの参加かと思います。昨年の展示は日常の何気ないスナップに自分と社会の距離感を表出する作品だったかと記憶しています。今年は全体を黒を基調としたまとまりを見せる作品でしたが、「臨界」という自己の内面に溜めたものを写す鏡としてイメージを配置する意図があったかと思いますが、コンセプトに近寄るのかコンセプトから遠ざかるのか迷っているような作品が混ざっていたのが残念でした。こういうコンセプトは全体にひとつでも異質な作品が混じると崩れてしまいかねないし、もともとわかりにくい作品なのでより注意を払う必要があると思います。しかし、1年で成長しているように感じられる展示でした。
永井さんはRailwayとその界隈を撮影した作品です。全く文句の付けようのないイメージの質の高さと構成で、鉄道系の写真を列車そのものから離して構成されていたのが印象的でした。永井さんの作品の完成度は高く、御苗場のあとの目標も出版など、一般に届く展開もあるかと思います。アートのフィールドではありませんが、コンセプトに忠実な作品の作り方を具現化しているお手本のような展示でした。
その他にも、石橋英之さんはポラロイド写真をポラロイド撮影する手法を繰り返し、その中に音声から文字をおこし詩を綴ったイメージなども重ねて作品を作り上げる、手の込んだ優れたアート作品でした。多くのレビュアがノミネートに選出していましたし、僕もノミネートしました。基本的にはアートの要とも言える美的素養(センス)と独自の世界観を作っていたと思いますが、それを支えるステートメントと作品の間に寄り添えない距離があるように感じられました。ステートメントを重くしすぎて作品が重々しく感じられ魅力を失っているかのような印象を少し受けてしまいました。しかし、手法について先行作品がないか検討し(フィルムやデジタルでは行われているようです)、大仰なステートメントを研ぐと、より的確な評価につながる可能性はあると思います。絵画的にいくか写真のディテールを残すかでも作品の幅をいくらでも拡張させることもできるため、展開次第では非常に楽しみな表現でもあります。スペインでの個展が開催されると聞きます。TANTOTEMPOでもグループ展の経歴があり、ぜひ成功させて帰ってきて欲しいと思います。
川㟢さんは自身の祖父を撮影した非常に力強い作品でした。写真のもつパワーを最大限に利用した大作品で、撮影した祖父像に祖父の人間の豊かさや人柄を落とし込むことに成功した非常に優れた作品でした。みかんを頭に載せたカットは、それだけで見たものを驚かせる作品でしたが、これを撮影した川㟢さんと祖父さんとどちらが表現や演出の主役だったかを作家ご本人からお聞きすることがなかったため、僕自身は次点とさせていただきました。digmeoutさんがレビュアー賞に選出されていました。すばらしい作品であることは誰が見ても間違いないと思います。
かさわきじろうさんは初めて人前で展示したとのことでしたが、僕が選出したTANTOTEMPO賞の受賞者です。かわさきさんの作品は、空にレンズを向けて撮影するその枠内に町にあふれるごくごく小さなモチーフを写しこんで撮影する作品を作っておられました。制作の仕上がりは粗いし、コンセプトはまだいろいろ詰めていく必要はあるけれど、9作品のうち3つの作品が特に秀逸で、見たことのない作品でした。空の広大さに、対比としてエレメントのように突き出てくる町を構成する突起物の小さな一部。このアイデアだけで整ったシリーズを広大に制作できるくらい独自の面白い着眼点の作品だったと思います。先行作品がないかよく研究して(ヒントを差し上げました)、作品をA1くらいの作品で仕上げてくると、世界に通用する表現になる可能性もあります。TANTOTEMPOでは今年年末のグループ展で皆さんに確認していただこうかと思っています。
このように、多くの作品について、「写真の担い手の目」という視点で様々に所感を構成し即座に答えを伝えるのがレビューです。レビュー自体は客観的であるはずもありませんが、全体的に見ていても同じ写真家が異なった担い手により選出されるなど、なにかしら共通項としての判断基準のようなものがあることがうかがえます。それがこの世界の様々なアートに備わるべき美学や写真を体系的に見ることのできる視点なのだと思うし、一部のプロの担い手、また写真を見ることを楽しみにしている一般の方々の厳しい視線の中にもあるものだと思っています。それが育たないことには、すぐれた作品を作るひとを育てることはできないし、写真を理解する社会を作ることもできないと思います。美学や時代背景から自身の立ち位置を問う力、社会の状況に応じ表現を使い分ける方法、写真やアートを読み解く能力、またそういったものを養う文化を、僕たちは決しておろそかにしてはいけないのです。
写真を展示するという行為には写真を使って社会に参加するという意味があります。社会に参加するという行為は、自分が訴えることで他者がどのように評価するのかを問いかけることで、その場にいる自己と社会との間に窓を開け放つ行為ということもできると思います。この行為には責任が伴います。しかし、なぜか多くの展示は窓辺に作品を置かず中を覗き込むように窓を開いているだけで、その中には何も見えないか、何か謎のように作品を構成して観察者に中に何があるのか読み解かせるようにし向けられます。私たちに寄り添わない、私たちを試すようなこれらの作品が人々に響くことがあるのか、甚だ疑問です。どうしてわかりにくい表現がこれほどまでに増えてきたのか、昨今の写真の導き手である写真賞周辺に選ばれていく若手写真家の潮流とも言うべきものかもしれません。僕個人の意見で書くと、こういう導き手の写真は得てして一般の方が選ぶものではなく、多くの場合は同じような表現者が選定しているため、写真の理解が深い人だけが解釈できる傾向があるのだと思います。若い方が、そのような作品制作を行うことが潮流だと考えて作品を作り構成展示することはほとんど無意味か、大変リスクを伴い、今後の作品作りに必ずしも生きていかないと思います。写真の不理解や「わからなさ」はある意味世界的な傾向ではあるのですが、アルルなどで体験する海外のわからなさには美学が伴っていて、それが美しい限りにおいて人々は「わからなさ」そのものには寛容です。ピカソやダリなどシュールリアリズムの表現がアートの根底に次第に行き渡ったことと日本の写真の現在の「わからなさ」とはまったく異なると思っています。わからなさは、そのまま「無意味」nothingと解釈されてしまい、社会からは理解できないことを理由にスルーされる可能性が高く、そういう表現が増えれば増えるほど人々は写真から遠ざかると思います。若かりし日の苦悩でありどろどろとした観念を伝えたいのであれば、それは誰かに覗き込んでもらうためにただ窓を開くことではなく、パンクロックのように窓を開け放って自分から新しい価値を創造し社会に飛び出すことでしか達成できないと思います。写真の特性を本当に良く勉強し、歴史からすぐれた作品を学び、アイデアが次々と膨らみながら拡張する姿勢の美しい作品を社会に問いかけること、僕はそれを表現の第一歩だと考えています。
去年に引き続きこのような機会を与えてくださったPHaT PHOTOテラウチマサト編集長ならびにCMSの小倉さん安藤さん竹中さん速水さん牛島さんほかスタッフの皆さん、メリケン画廊木下アツオさんくきもとさんほか多くのナエバースの皆さま、ありがとうございました。たくさんの表現者の皆さま、お疲れさまでした!

杉山さん
上記のような熱いメッセージを今年もありがとうございます。
本当にたくさん会場にお越しいただき、
多くの出展者さんのレビューをしていただきましてありがとうございました。
一人ひとりに対して誠意をもってレビューされる姿は何度見ても
本当にありがたい限りです。
御苗場にかかわったすべての方が一つでも何かを得ることができれば幸いです。
じっくりとコメントを拝見させていただきます。
本当にお疲れ様でした。
ありがとうございました。
今後とも何卒よろしくお願いいたします。
竹中