伊豆写真美術館杉本博司講演会レポー ト

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伊豆写真美術館杉本博司講演会
「光の自然(じねん)-アートの起源-」レポート

伊豆写真美術館がオープン、杉本博司氏が設計に携わって運用が開始されたことは何かの雑誌で読んだと思う。その杉本博司氏が、昨年秋に氏の母校である立教大学で講演会を開いたことはwebサービスであるTwitter上で流れ知っていたため、1月に伊豆写真美術館でトークショーが開催されると聞いて伊豆を訪れることに決めた。

1月23日早朝、TANTOTEMPOのM社長と兵庫県西宮市を出発。

僕たちは、写真ギャラリーであるTANTOTEMPOを設立した後の1年半の活動を振り返りながら、400kmに近い長いドライブを楽しんだ。僕たちのTANTOTEMPOでの行いは、写真文化を問いかけることから始まったと思う。アートが身近なところに入り込まない、あるいは入り込んでも実際には意味なく(鑑賞されることなく)そこにたたずむかのような日本の暮らしの中で、写真という問いかけはさらに遠い雲の上のようなものに思えていたのだと思う。アート作品は、その質の評価によって手に入れられる訳ではなく、おおかたはその作品の作者の名前の偉大さによって取り引きされている感がある。僕たちは写真が好きだという理由だけでギャラリーを開いたのではなく、そこには素直な疑問があったわけだ。どうして日本人は欧米ほど写真を飾らないのか、どうしてこれほどまでに写真を愛好するひとがいるのにアート写真はマーケットを持たないのか。Mさんがビジネスとして新しい方向性を模索していると聞いた僕は、「何らかのアートに携わるといい」とアドバイスをしていた。「写真が面白いよ、きっと」
開設当時から現在までの僕たち自身の道のりを話し合いながら、車内はおおいに盛り上がった。

さて、ドライブの途中、Mさんに運転を預けた残り1時間の地点が清水市あたりか。僕は知らず知らずのうちに富士山の姿を探している自分に気づいた。僕は自分が日本人であると強く意識する時がある。と同時に、強い喪失感を感じるのが最近のこころの成り立ちだ。多くの美しい文化を持ち、歴史の偉大な輝きに触れることのできるこの小さな国が、政治的経済的活動の不安定さから様々な局面でテリトリーを失いつつあり、あらゆるレベルで崩壊の危機に瀕している。社会全体から見ればまだ崩壊してしまうまでには至らないが、政治や経済、教育といった基幹となるシステムの質の低下が著しいことを考えれば、経済的な興隆が一時的には達成されたとしても、文化的な復興はまず遠いだろう。長い疲弊した構造の中でこそ新しい表現は必ず芽を出すが、それを見いだし育てる仕組みが成り立たないことはいかにも苦しい。がんばっている若者たちを見ると、本当にこころが痛む。他の若者たちは喘ぐこともやめ、もはや動かぬが得とばかりに大勢は精神活動を止めてしまったかのような無気力だ。杉本博司氏の講演会のタイトルが「アートの起源」とされていたので、僕はアートのそもそもの始まりと現在との対比が講演の趣旨であれば面白いと漠然と考えていた。

伊豆写真美術館は富士の南東の裾野に広がるなだらかな丘陵地帯にある。閑静な住宅地と混じり合うかのように彫刻や絵画にまつわる美術館が立ち並ぶ特異な空間だ。到着したのが講演会受付のちょうど1時間前だったので、僕たちは昼食をとることにした。メインダイニングに向かったが予約でいっぱいとのこと、カジュアルイタリアンレストランも満席だったが、テラス席が空いたと言うのでテラス席で毛布をかけてもらって食事を楽しんだ。食事後、写真美術館にも入館したが、採光と空間配置、外の中庭を望む窓に特徴づけられた瀟洒なモダン建築である。杉本氏の作品の代表作である巨大なプリントが並べられていた。ここで作品の感想を書くべきかもしれないが、僕は杉本氏の講演を聴いた後に解釈をすることに決め、Mさんとも一言も会話を交わすことなく美術館を後にした。それがすばらしいものであることは伝え聞いて知ってはいるが、それを前にすると少し何か足りないものがあると感じてしまったのだ。

講演会は立派なホールを用いて行われた。もちろん超満員だった。多くの若い学生や表現に身を捧げていそうな人、そして一般の講演好きな人々もいたと思う。会場にアナウンスが流れ杉本氏が登場した。

講演会は、杉本氏が演壇に着座しスライドショーを使用して行われた。まず歴史的な遺跡の石組みが紹介され、伊豆写真美術館の中庭に設置されている石組みとの対比でストーリーが始まった。古来、石を積み上げて空間をつくるという行いそのものに既に強い「意識」が作用している、という講演会全体へのコンセプトの提示がなされた。「意識」とはひとがひととして存在するために獲得した自己を表現するためのシステムであり、自己と社会とのつながりを規定する構造によこたわる作用でもある。杉本氏は「意識」についてまず考察するため、これらの石組みの遺構が驚くべき仕組みで太陽の光とリンクしていることを実証する研究を紹介した。つまり、遺構の一番深い場所に一年に一度太陽の光が差し込む日が来るのだという。そして、そういう仕組みを有した遺跡はほかにもあり、古来の祭典や祈りの形式にまつり上げられていく一連のプロセスが人類の様々な所作、すなわち叡智の始まりでありアートの起源であると定義した。

続いて、杉本氏の作品である放電場の制作風景がビデオで紹介された。フィルム(印画紙?記憶が定かではない)を現像液中に沈めて高電圧(30万ボルト)の放電棒を用いてスパークを発生させフィルム(印画紙)に感光させるという作品のコンセプトだが、それ自体は実に単純だ。レンズを用いずに写真をとることができるか、という少年が思いつきそうなささやかな発想がこの実験写真を生み出しているのだ。次に、現代の写真システムを考案したとされるタルボットのネガフィルムを再発見し、それを私財を投じて購入し、ネガからプリントを起こした一連の活動について紹介した。何が映っているのだろう、と薄汚れたネガを見かけた時に興味を持つことがいかに単純か、しかし単純な疑問が強い意志によって最終的な結論に導かれる様子がいかに執拗で情熱的かが語られていた。おそらく印画紙の現像を通して浮かび上がったタルボットの子供の家庭教師の姿は、杉本氏がいなかったら決して日の目をみることはなかっただろう。知りたいという欲求と、それを知るための手段をもつこと、その結果を正しく評価すること、これらが何かを制作するという次元においてまず必須であることが他愛もなくさらりと語られたのである。そして、これこそが現代の日本人の意識から欠け落ちていることなのだ。

講演会の後半は「海景」のシリーズにまつわる柔らかなストーリーだった。イギリスのロックバンドU2のボノとの逸話が紹介された。杉本氏があるスペインのコレクターの別荘に滞在していた時、ロンドンに向かう杉本氏を送ると言うコレクターの自家用機に載せられた。その中でちょっと寄り道をしないかとロンドン郊外の城のようなところに連れて行かれてみるとそれがボノの家だった。ボノは杉本氏の大ファンで、CDジャケットに「海景」の写真を用いたいとの要望があった。答えに窮していると、ボノからこの家の海岸から「海景」のシリーズを撮ってほしいと頼まれた。頼まれると絶対に撮らないので「言われなきゃ撮っていたのに」と応え、「海景」の写真は使っても良い、と言うことになった。それではお金の支払いはどうしようということになったが、そういうことが面倒だったので、ボノのある曲を自由に使っていい権利と「海景」の一部とが等価に交換された、とのことであった。実際に、スペインで開催されたU2のコンサートでは巨大スクリーンで杉本氏の「海景」が紹介され、ボノが「スギモトサン!」と叫んでいる姿がYouTubeの映像で紹介された。講演会の観衆は喜んでいたが、僕は偉大なプロフェッショナルが当然のように高い意識を用いて自分のテリトリーで最高の仕事をしていると、異業種の世界の人々とも響き合う強い言語が自然に発生すると考えているので、プロフェッショナリズムの言語の解釈として聞いていた。

さて、最後の話題は瀬戸内のある島の空中に長さ100m、幅3mのプールを設置するという杉本氏のプロジェクトである。実はその前にある島の神社の祭りに使う祠(ほこら)の設計を任されたというエピソードが紹介されていたが、その祠もプールも、最初に紹介された遺構同様、春分・秋分に太陽が上り沈む場、「意識」が上り沈む場としての構造物であると紹介された。光の自然(じねん)とは、まさにこの太陽の導きであり、古来から信仰や思想に大きな影響を及ぼした人類の意識そのものなのである、という論旨としてのクライマックスを迎えるのである。
小田原の海岸線の土地に、海を眺め、遠く太陽を眺め、海景に身を置く最後の場所を用意しようという考えも紹介され、光の自然(じねん)、「意識」がアートの起源である
というストーリーが静かに閉じられた。

杉本氏は、ただ風貌で語ると特に何の変哲もない普通の紳士だ。講演会後珍しくサイン会に応じるというので、僕の好きな作品集であるARCHITECTUREの写真集を購入し列に並んでサインをいただいた。杉本氏が輝くのは日本屈指のギャラリーである奥方の運営するギャラリー小柳の活動があるからだ、という人もいるが、僕はむしろこの普通の紳士の内面に流れる素直な疑問とそれに挑戦する強い衝動が日本のアートシーンのリーダーを形づくっていることを疑う余地がないと思っている。小さな疑問からある事実をあからさまにするという手法は、まるで自然科学の手法そのものだ。知りたい、理解したい、どうして?なぜ?という問いかけこそ、意識の場に重みを投げかける最も原始的な問いかけなのだ。

僕はことアートについては素養が重要だと思っている。そこに時代を読み取るセンスや、意識の高さに基づいた制作姿勢や、再現性を必死になって追求する泥臭さが必要なのだと思う。これらは努力して得られることもあるし、努力なくして得られるものもあるが、いずれいしても常に高い「意識」の励起状態を維持しながらたゆまぬ努力を積み重ねるしかない。それがプロフェッショナルの所作というものだ。杉本氏はなるほど、それらすべてを持ち合わせた人物なのだ、だから世界中のアートファン、アーティストに敬愛されているのだ、そんなことを話しながら湯ヶ島の温泉宿に投宿した。

杉本博司氏の写真作品について。杉本作品を初めて見たのは2007年のパリフォトだった。その前の年、「海景」のシリーズがサザビース(ただしい?)のオークションでとてつもない価格で取り引きされたということを知っていたので、あるギャラリーに展示されていたARCHITECTUREのシリーズの一作品を観た時はそのイメージに感動した。

ただ、杉本作品は完成度において他の追随を許さない高みにあるという感覚はあるが、作品自体は冷たい。静寂と冷徹とを好むものには最高の美術作品ともいえるが、つながりを求める現代人は完全に突き放された感覚を憶えるだろう。瀟洒なモダン美術館で冷たい写真を眺めると、ああなんかつき放たれているなあ、そんな静寂が嫌になるのだ。僕の感じた違和感は、まさにそれだった。

放電場の樹木に模したスパークの映像は、むしろ優れた科学研究に匹敵する成果かもしれない。唯一、タルボットのシリーズは、そのコンセプト故にストーリーとして高く、イメージも美しく、むしろ暖かな作品だった。

いずれにせよ、杉本作品がすばらしいことには違いないのだけれど。

講演会は、ある意味で孤高の極みにある自分自身の活動、考えの説明に終始していた。U2のボノが社会派のロックスターであることは誰もが知っている。ボノは自分の音楽を愛してくれる音楽ファンに常にメッセージを送ることで、アフリカの飢餓など社会的な問題に立ち向かうよう誘導する活動を行っている。杉本氏が現代社会から受けた称賛にどのようなメッセージで応えるのか、その必要性があるかどうかは別にしても、講演会などでは社会的な活動について、日本の文化に対するコミットメントについても訴えるべきではないかと思った。今、われわれが直面する現実の問題に、最も高い位置にいる人が言及することがいかに人々に勇気を与えるか、そんなアイデアが聞こえてこなかったのは極めて残念だった。

はて、タルボット作品の写真の著作権は誰に帰属するのか、もちろんフィルム
の所有者たる杉本氏だろう、でもイメージはタルボットだよ、そんなことを話
しながら、2日間の伊豆旅行から帰投した。とても有意義な2日間だった。


Gallery TANTOTEMPO 杉山武毅

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