昨日、「やさしいモノクローム」写真展のトークセッションが開催されました。
写真展参加写真家4名全員が参加してのトークセッションでしたが、本当にたくさんの方が来廊くださり、会場は大いに賑わいました。
写真活動のキャリアも作風も全く異なる4名の写真家がそれぞれどのようなテーマで写真と関わっておられるのか、また銀塩写真を撮り続ける理由や魅力とはなにか、特にモノクロ銀塩写真の表現力という点において、作品作りに必要ないくつかのエレメントについて、それぞれのお考えをお聞きしました。
印象に残ったのは、東京からご参加いただいた福山さんの「月がついてくる」シリーズの作品作りについて、垣根やフェンスを写し込みながら向こうの景色を撮影するコンセプトが、他者の生活、自分と異なる世界に強く引きつけられるという動機に基づいて撮影されているということです。他者と自身の間に明らかな境界をもうけることで、より強く自己の存在を表現しようと試みているような印象を強く受けました。
また、大阪から参加いただいた角田さんは、旅という非日常の状況で、ある種のストレスを感じる事件が起こったことから、不安定さを覆い隠すようにシャッターを切った結果の心象風景なのだとの説明がありました。
山脇慎也さんは、淡路島にある大石可久也アート山美術館という美術館とその美術館を擁する海の見える山谷、そしてその館長で美術家の大石可久也さんやそこに関わる人々をモチーフに作品作りをしていて、まさに一人の美術家に魅せられた結果生まれてきた作品とのことでした。
今回の写真展のメインゲストである陰山さんは、銀塩写真の魅力について、特にそのテーマ性、保存性を強調されました。
現在展示中の「Japan,Japanese」シリーズ以前の作品作りについて、ある出版社の編集者から「独りよがりな写真」という批判を受けたことから、銀塩写真そのものとの関わりを再構築することを余儀なくされた結果、「Japan,Japanese」というシリーズが生まれたとの説明がありました。社会を斜めから眺めるのではなく、真正面からとらえることで強いイメージ、いつまでも残る記録としてのドキュメンタリー写真が構成されていくのだとの説明がありました。加えて、銀塩写真の保存性について、やはり銀塩写真の魅力は100年は色あせない、他のどの写真技法に比べても保存性において優れているとの持論を展開されました。陰山さんの写真の魅力は、日本の社会や文化を真正面にとらえてまさに記録するドキュメンタリー性だと思います。日本の現代社会の混乱をあらわにするのではなく、日本本来の強さ、美しさをしっかりと記録することで、国と自分との関わり、見たものと国のとの関わりを明確に意識させようとする写真家のまなざしなのだと思います。僕は、このまなざしこそ「やさしい」まなざしなのだと思い、写真展の中心に据えることにしたのです。
会場からは、フィルムとデジタルデータの取り扱いの違い(不要なイメージを捨てるか捨てないか)、薬液を使うなど環境への配慮について質問、ご意見がありました。
ギャラリーからは、写真表現が多様化してひとつの優れた作品を見つけること自体が大変な時代にあって、「やさしいモノクローム」というコンセプトの写真展をグループ展で開催した理由について説明しました。ある種の表現が拡散して希薄化する中で、決して廃れたり失われない表現としての銀塩モノクローム写真の普遍性について、特に強調できたのではないかと思います。ただし、「やさしい」という曖昧な写真展コンセプトについては、受け手である観客のみなさんの印象にゆだねたいと思います。この点に疑問を投げかけてくださった方もおられましたが、キーワードとしてのこの言葉がどう響くかも、結局のところアートの懐の深さなのだと考えています。
1時間半を超えるトークセッションでしたが、熱心な来廊者のみなさまに支えられ無事終えることができました。写真家の皆さん、来廊者のみなさん、本当にありがとうございました。
(写真家:掲載順;福山えみさん、角田佳子さん、山脇慎也さん、陰山光雅さん)
